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沓掛酒造株式会社Kutsukake Syuzou

当社は元禄年間(1688〜1704)の創業で、長野県上田市下塩尻の千曲川と虚空蔵山(標高1076.9m)に挟まれた北国街道沿いにて酒造業を営んで参りました。 上田市は江戸時代、国内有数の良質な蚕種生産地であり、塩尻地区は上田市の中でもっとも養蚕が盛だった地域でした。
創業者の沓掛権右衛門(ごんうえもん)は創業当時、酒造業と養蚕業の兼業だったと伝えられております。
昭和25年4月4日に沓掛酒造株式会社が設立されました。

サンプルイメージ
「信州蚕種製造酒類醸造」
東京農工大学科学博物館所蔵・東京農工大学図書館提供

蔵の環境

上田市の多くが盆地で、夏の平均気温は30度以上、冬の平均気温はマイナス10度になる等、夏冬の寒暖の差が大きい地域です。晴天率が高く年間を通して雨の少ない地域でもあります。
蔵のある塩尻地域は、長野方面からの山間がひらける場所にあるため、年間を通して強い風が吹く地域です。
上田市はその晴天率などが高いことにより、映画のロケ地としてもよく使われております。
また、蔵の裏手にある虚空蔵山から太郎山にかけて、山頂部分から雲が滝のように流れてくる自然の絶景「さかさぎり」なども見ることが出来ます。

杜氏 山ア充

サンプルイメージ

当社の杜氏は、長野県小谷村出身の山ア充と申します。小谷村(おたり)は北安曇野の豪雪地帯。昔から豪雪地帯の男衆は冬の間雪のため仕事が出来ないため、様々な地域の酒蔵に出稼ぎへ行っておりました。中でも「小谷杜氏」と呼ばれるほど小谷杜氏の技術は高いものでした。
当社の山ア充杜氏は、中学校を卒業して酒造りの道に入り約60年、当社に来て早30年。山崎杜氏が来るまで当社は吟醸の技術がありませんでした。山崎杜氏の技術により当社は全国新酒品評会で14回もの金賞を受賞、また関東信越国税局酒類鑑評会にて主席を頂くなど、当社の清酒製造の技術は飛躍的に進歩いたしました。

沓掛古写真
 大正期の沓掛酒造従業員

代々襲名された「沓掛権右衛門」の名

沓掛酒造蹴鞠資料
明治期の沓掛権右衛門の写真(左側の人物)

明治期まで沓掛家の酒造業を継ぐ者は代々「沓掛権右衛門」の名を襲名しておりました。現在では襲名制度はありませんが、 元禄より続く沓掛権右衛門の思いを伝え続けるよう日々精進しております。

沓掛家と蹴鞠

沓掛酒造蹴鞠資料
上田市立博物館所蔵の沓掛家蹴鞠資料

1775年生れの沓掛権右衛門は、記録によると蹴鞠の師範の家元であった京都の公家飛鳥井氏より、信濃の門人を監督する役目とみられる「目代取次役」に任命されています。 沓掛家に伝わる蹴鞠資料等品々の蹴鞠、沓(靴)、装束、古文書等は昭和45年に上田市の重要文化財に指定され、現在上田市立博物館に所蔵されております。

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